1780年頃のメイソンフォブでたいへん秀逸な仕上がりのものになります。
リラ風のペンダント部分はこの当時の一般的な形状で外観上では特筆するほどのちがいはないのですが、シール部分は貴重なフリーメイソンのもので全体にギリギリまで展開したシンボルや左右非対称の配置、ややナイーブな彫金など目をみはる魅力でいっぱいです。多少のスレキズなどの使用感はございますが、これも時代相応で深い味わいを加えております。ホールマークはライオンパサントのみですが、細工師銘はロンドンの著名な女性銀細工師 へスター・ベートマンで1771年に登録され1776年から1790年頃まで使われたマークが入っております。
写真のアルバートチェーンは付属いたしません。
高さ約23mm シール部分 縦約24mm 横約20mm 11.2g
へスター・ベートマン 旧姓へスター・ニーデンもしくはニードハムは1708年11月に洗礼(洗礼は必ずしも1歳未満でうけるとは限られませんが、亡くなった年齢から考慮するとほぼ生まれた年に近いと考えてもよいかとおもいます。)を受け、1732年5月に金鎖メーカーのジョン・ベートマンと結婚、6人の子どもに恵まれ、夫のジョンが1760年に結核で亡くなると夫の家業を受け継いで、1761年に細工師としてのへスター・ベートマンを登録、名告り1774年頃以降はロンドンのバンヒル ロウ 107番地で息子のジョナサン、ピーターと営業を展開、1790年に引退し息子に引き継ぎ、その後もファミリービジネスとして1843年まで続くことになりました。へスター自身は1794年9月16日に亡くなり、ロンドンのオールドストリートにあるセント・ルークスに埋葬されています。ベートマンの銀器は人気が高く、へスター・ベートマンはイギリス銀職人の歴史を通して現代でも特に白眉と考えらてております。